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俺をディスる幼馴染への制裁は、遅効性の甘美な毒薬

第22話 死亡フラグ



 俺は胸ポケットから切符を取り出すと、グリーン車のシートに背中を預ける。


 ―――のぞみ92号・東京行 8号車 4A


 ……Yu-noからの封筒はすぐに届いた。

 消印で投函場所が分かるかと思ったが、最近はお互いの住所を知らなくても荷物が届けられる。

 コンビニで受け取った封筒に入っていたのは、予想に反して一枚のカード。
 俺名義のクレジットカードだ。


 Yu-no曰く、窓口で切符の受け取りに必要なんだよ―――とのことだったが、そんなことがあっても心が揺れない自分自身に一番驚いた。

 更に、支払いは気にせず限度額まで使って良いそうだ。
 言われたからって使うわけにはいかないが―――


 ……既に切符代はYu-no持ちだったな。


 俺は自嘲気味に笑うと目をつむる。

 個人情報とかお金の出どころとか―――今更気にすることじゃない。


 着くまで休んでいた方がいい。



 今日はきっと長い一日になる。


 ――――――
 ―――


 待ち合わせ場所は品川駅近くのホテルのカフェだ。

 Yu-noに言われた通り高輪口から外に出ると、駅の混雑が嘘のように静かな街並みが広がっている。


 久しぶりの東京だが懐かしさは感じない。

 無機質な通りの雰囲気と、ビルの足元を飾る木立のアンバランスさにむしろ気後れを感じる。

 恐らくは車で出入りする人達を想定して作られた一角だ。


 俺は似たような名前のホテルの中から、一番背の高い建物に入る。

 天井の高いホテルのロビーに足を踏み入れた途端、むしろ反対に広い場所に出たような錯覚に陥る。


 土曜日の午前中。

 チェックアウトのピークも過ぎ、ランチタイムにもまだ早い。

 ホテルのロビーは一時の静けさに包まれている。

 大きく息を付きながら腕時計を見る。
 待ち合わせ時間まであと10分。


 ―――Yu-noはもう来ているのだろうか。


 思わず足が竦み、心臓の鼓動が耳に響く。


 ……彼女の姿はもちろん、声を聴いたこともない。

 会話の内容からして同年代とは思うのだが、その証拠は一つもない。


 ロビーの真ん中で怯えたように立っている自分の姿。
 Yu-noに見られているかもしれない。

 みっともない姿は見せられない。

 俺は半ば開き直ってカフェに向かう。


 カフェはホテルの広いロビーの一角にある。
 高い天井近くまである大きな窓から、木漏れ陽が差し込んでいる。


 客は多くは無い。
 俺はさりげなさを装い、視線をめぐらす。


 打ち合わせ中のサラリーマン。楽しそうに笑う年配の女性達。並んで座る若い男女は、顔を寄せて何かを囁き合っている―――


 待ち合わせの目印は特に決めていない。


 ―――来れば分かるよ


 Yu-noに言われるまま来たが、偶然なのか。
 一人連れのテーブルは一つだけだ。


 文庫本に目を落としているのは若い女性。


 薄茶の裾の長いカーディガンの下、紺色のジャンパースカート。

 肩より少し長い黒髪は、気怠さを感じさせつつも整ったウェットヘア。

 気負うでもなく自然とホテルのロビーに馴染む座り姿は、見た目は自分より少し年上の女性だ。


 彼女がYu-no……?


 その女性は、細い指で文庫のページを繰る。

 気取られぬように近付いた俺は、声をかけて良いものかしばし戸惑う。


 ふと、テーブルに置かれたスマホに気付いた。

 カバーの絵柄は『Re-liance(リライアンス)』のイメージイラストだ。


 ……間違いない。

 俺は唾を飲みこむと、ゆっくりと口を開く。


「あの、あなたが……Yu-no?」


 女性は長い睫毛を揺らしながら顔を上げる。


「……ケイスケ?」


 彼女は少しかすれた声でそう言うと本を閉じる。


「これこそ初めまして……なのかな。どうぞ座って」


 俺は近付いてきたウェイターにコーヒーを頼むと、Yu-noの顔を見ようとしてきまり悪く目を逸らす。

 三度目、真っすぐ目を見られずに視線を逸らすと、彼女は口元を隠して小さく笑った。


「……おかしいよね。実際に顔を合わせると、ちょっと照れるよね」
「だね。いつもチャットでは普通に話してるのに」


 Yu-noは柔らかい笑みを目元に漂わせ、紅茶のカップを軽く掲げる。


「遠くから、ありがと。疲れたでしょ」
「こちらこそ。Yu-no、会ってくれてありがとう」


 そのまましばらく無言が続く。
 珈琲を運んできたウェイターが下がると、俺はカップに口だけ付けて皿に戻した。


 ……何から話す?


 掲示板の書き込みのこと?


 Yu-noはどこの誰でいつも何をしてる?


 ただ会えて嬉しいと伝えればいい?


 ……目を瞑り、溢れ出す感情を抑えながら、俺は大きく深呼吸をする。


「ケイスケ、大丈夫?」


 Yu-noは気遣わし気に手を伸ばしてくる。
 俺は手を引きながら、ゆっくりと首を振る。


「ああ、大丈夫。Yu-noはこの辺りに住んでるの?」
「どう……かな」


 Yu-noは困ったような笑みを浮かべながら、耳にかかった髪をかき上げる。


「……今は聞かないで欲しいかな。私がここに来ただけじゃ不満?」
「そんなわけじゃ。ごめん」


 ……違う。こんな話をしたいんじゃない。
 聞きたいことがあるのに言葉が出ない。

 そんな俺を見つめながら、Yu-noは慈しむ様に目を細める。


「……ね、二人になれるところ行こうか」


 テーブルの上、再び伸びてきたYu-noの手。


 ……俺はそれを上から押さえた。

 Yu-noの表情に僅かに戸惑いが混じる。


「焦らなくても大丈夫だよ? 部屋を取ってあるから―――」
「……君は本当にYu-noなの?」


 俺の掌の下、Yu-noの指がピクリと動く。


「……Yu-noだよ? どうしてそんなこと言うの?」


 窺うような上目遣い。
 Yu-noの黒い瞳に俺が映っている。


「どうして、違うと思ったの?」


 黙り続ける俺を見て、Yu-noは再び尋ねる。


「……そういうこと言われると悲しいな。私、勇気を出してここまで来たんだよ? 普段、外出なんてしないのに、ケイスケのためにおしゃれして」
「―――爪」
「え?」


 整えられた眉をひそめ、Yu-noは細い首を傾げる。


「君の爪、小まめに手入れがされてるよね」
「……うん、啓介に会うからおしゃれしてきたんだよ」
「爪だけじゃない。君の指先、手の甲、首筋に顔………ちゃんと時(・)間(・)が(・)積(・)ま(・)れ(・)て(・)い(・)る(・)」


 今度は彼女が黙る番だ。
 瞳にはっきりと困惑を浮かべ、俺を咎めるようにゆっくりとかぶりを振る。


「……ごめん。ちょっと言ってる意味が分からない」
「これは毎日、自分自身を手入れして、他人との間で暮らしている人の身体だ」


 彼女は黙ったまま、俺の視線から逃れるように胸元を手で押さえる。


「服も……おろしたてではないけど、キチンと扱っていて身体になじませている」
「それは……」
「失礼だけど、ろくに家から出ない人が急に身支度を整えて『こう』はならない」


 ……側で見ていたから知っている。

 頭の上から文字通り足の裏まで、手入れを続けるのがどれほどのことなのか。

 その努力を衆人環視に晒されない、半ば引きこもりのような生活をしているYu-noが続けている必然性を感じない。


 仮に―――時折、誰かと『会う』としても。


「だから、それはケイスケに会うために―――」
「君の見た目には、君自身が現れていて―――そこにYu-noが見えてこないんだ」


 俺は重ねた手を離す。


「Yu-noが『Re-liance(リライアンス)』に費やしている時間は知っている。残りの時間で君のように綺麗でいることは出来ても、外の世界と繋がりを作り、誰かと会い、暮らしていくのは無理だと思う」


 それまで黙って聞いていた『Yu-no』は、ようやく呆れたような表情で口を開く。


「……ひょっとして口説いてる?」
「君が本物のYu-noなら、あるいは」
「私はYu-noよ」


 彼女―――『Yu-no』はそう言い切ると、伸ばした手を持て余したかのようにミルクピッチャーを指先で摘まむ。


「……でも、ケイスケの知るYu-noとは別人かもね」


 紅茶に渦を巻く白い筋を、スプーンで音もなくかき混ぜる。


「今日は君と寝に来たつもりだったんだけど。そんな空気じゃなさそうね」


 寝に来た―――

 その言葉に、頭の中を掲示板のいくつもの書き込みが巡る。
 俺は思わず立ち上がる。


「何故、君はこんなことを? ひょっとしてYu-noになにか―――」
「勘違いしないで。ちゃんと報酬は貰ってるし、私は自分の意志で『Yu-no』をしているの」


 自称『Yu-no』の表情が変わる。
 先程までの柔らかい雰囲気が消える。


「ケイスケ、落ち着いて。座ろっか」
「でも……知らない男と寝るとか……その……良くないというか……」


 思わず口ごもる。我ながら子供じみた言い草だ。

 ……いや、彼女に比べれば実際に俺は子供だ。
 俺は自分でお金を稼いだことすらない。


「……いや、ごめん。余計なことだね」


 俺は力が抜けたように椅子に身体を戻す。

 その姿を見た彼女の口元が緩んだ。


「気にしないで。私、元々『売り』をしてたの」
「元々……?」
「去年くらいかな。ネットでYu-noにスカウトされて―――」


 俺をからかう様に片目をつぶって見せる。


「―――ベッドの上では私が『Yu-no』になることにしたの」


 ―――売り

 言うまでもなく売春だ。
 この言い方をする場合、援助交際のように個人で身体を売ることを指すのだろう。

 俺は何とか一口、珈琲を喉に通す。


「なんで君はそんなことを」
「私、声優学校に通ってるの。普通のバイトだけじゃ授業料や生活費を稼げないから」


 『Yu-no』は悪戯っぽく笑うと、親指と人差し指で輪っかを作る。


「君の愛しいYu-noちゃんには感謝してるのよ。良いお客さんを連れてきてくれて、金払いもいいし。フリーの立場だから有難いわ」


 彼女の何気ない口調には悲壮感を感じない。
 ……だからといって彼女の内心は分からない。

 俺はテーブルの下で落ち着かなく指を組み替える。


 ……間違えてはいけない。
 いま俺が考えるべきは、目の前の『Yu-no』の事情ではない。

 俺は伏せていた顔を上げ、『Yu-no』の顔を正面から見据える。 


「彼女と……Yu-noと会ったことはあるの?」
「ないわ。必要もないし」
「じゃあ、Yu-noはその……男から代金をどうやって受け取ってるんだ?」
「報酬はアイテムやギルで受け取ってるみたい。現金よりも払ってる感覚が希薄だから、実入りがいいらしいけど。そこに首は突っ込まないわ」


 彼女はそう言いながら、残り少なくなったカップの中身に砂糖を投入して勢い良くかき混ぜる。


「それにしたって……別人だってばれたりしないのか」
「私も『Re-liance(リライアンス)』をやってるから話は合わせられるよ。お客との会話のログは事前にもらってるし、会う前には念入りに打ち合わせをしてる。今回はちょっと大変だったけどね」
「大変?」
「だってログの分量が2年分で数十万字だってさ。いくら私でも読み切れないよ」


 飲まずとも分かる甘い液体を口に流し込むと、『Yu-no』はカップを静かに戻す。


「あの感じだと、あの子全部覚えてるんじゃないかな。数十万字」


 ……全部って。
 この2年間の二人の間の会話を……全部?

 思わず言葉を失う俺に『Yu-no』はさっきまでのような優しい笑みを見せる。


「君、愛されてるね」


 ―――愛されてる。

 Yu-noが俺に向ける感情は愛とかそんな感情なのだろうか。

 最近ずっと考え続けながら、少しも答の出ない問題だ。


「それにさっきの君の洞察は見事だけど。一つだけ間違ってる、かな」
「間違ってる?」
「人と会わない女は綺麗でいることは難しい……って言ってたけど。その気になれば女はなんにだってなれるよ」


 言いながら『Yu-no』は一枚のカードを差し出してくる。
 見れば携帯の電話番号が書かれている。

 俺は戸惑いながら首を振る。


「ごめん、俺は君のお客にはならない」
「安心して。私のじゃないわ。あなたが知ってるYu-noから、我慢できたらご褒美に渡してって頼まれてるの」


 ご褒美、ということは本物のYu-noの電話番号……?

 カードを受け取ると、080から始まる12桁の数字を信じられない気持ちで見つめる。


「俺が見抜けなかったらどうするつもりだった?」
「別に。君と寝たわよ。仕事だから」


 何気ない口調。
 Yu-noの知り合いという気安さを覚え始めていた俺の前に、立ち塞がる深い溝。


「そう、仕事。今私がここに居るのも。君と寝ようとしたのも」


 目の前の『Yu-no』は両肘をついて口元を隠しつつ、上目遣いで俺を見る。


 ……目の前のこの人が『寝た』のだ。
 掲示板に書き込みをした誰かと。

 恐らくは俺も知るフレの誰かとも。


「時間、余っちゃたな。どうしよう」
「ごめん。……俺が言うことじゃないけど、仕事だったんだよね」
「全然。前払いで報酬はもらってるから、楽できて助かったけど。部屋も取ってるしなー」


 彼女は細い指でカップの縁を丸くなぞる。


「……いいよ。しよっか?」
「え? もう仕事は終わったって」
「そうだね、あなたのYu-noちゃんから頼まれたお仕事はもうお仕舞。でも貰ったお金の分なら、私は構わないよ?」
「……折角のお誘いだけど遠慮しときます。少し考えたいこともあるし」


 動揺を隠そうと珈琲を啜る。
 俺の返事が予想外だったのか、彼女は長い睫毛に囲まれた目を丸くする。


「あれ、ふられちゃった。残念、一回高校生としてみたかったな」


 ……女性にとっても高校生って付加価値はあるのだろうか。
 そんな馬鹿なことを考えてる内に、彼女は伝票を手にして立ち上がる


「あ、ここは俺が」
「二度も恥をかかせないで。お姉さんにおごられときなさい」
「すいません、ごちそうに―――」


 すれ違いざま『Yu-no』は身を屈め、俺の頬に掠めるように唇を触れる。


「ちょっ……」
「君のYu-noによろしく」


 彼女は耳元で囁いてその場を去った。


 俺の首筋に甘い香りを残して。



 ――――――
 ―――


 公園の遊歩道を歩きながら、俺はスマホの電話帳を見つめていた。

 ……新しく追加されたYu-noの名前に、現実感が追い付いてこない。


 電話番号を教えてくれたということは、掛けても良いということだ。
 分かってはいるが勇気が出ない。


 ……何を話せばいいのか、

 肩透かしにされた恨み節?

 Yu-no役の女性の事?


 それとも―――君はどこの誰なの?


 何度目か、画面のYu-noの名前の上を指が素通りした時。
 画面に封筒のアイコンとYu-noの名前が表示される。

 彼女からのショートメールが届いたのだ。


 アメピグのチャットと変わりがないにもかかわらず、緊張でスマホを落としそうになりながらメールを開く。


『おめでとう。あなたは死亡フラグを回避しました』


 ……なんだこれ。

 俺は思わず苦笑する。
 緊張しているのは俺だけ?

 それで肩の力が抜けたのか、続けざまに鳴り始めた電話にも平静を保っていられたのは自分でも意外だった。


「……もしもし?」
『もしもーし Yu-noだよー』
「……なに、その声」


 スマホから聞こえてきたのは、へリウムガスを吸ったような甲高い声―――いや、はっきり言おう。

 有名な海外アニメに出て来る水兵姿のアヒルにそっくりだ。 


『Yu-noダックだ、グワッ グワッ!』
「ヤバいな。来月の電話代、謎の高額請求だぞ」


 笑いながらも頭を巡らせる。

 ……Yu-noが声真似の天才でもない限り、これはボイスチェンジャーを使っている。

 しかも、世界で2番目に有名なアヒルの声を真似られるのだから、専用のソフトでも導入しているはずだ。


『Yu-noとは会えた? グワッ』
「ああ。こっちのYu-no、随分と美人だったよ。ひょっとして盛ってない?」
『Yu-noは全員可愛いのだ。グワッ グワッ』


 ひとしきりふざけると、Yu-noは小さくため息をつく。


「Yu-no?」
『分かってくれた? 私がそんなことしてないって』
「……疑って悪かったね。ただ、あまり感心しないよ」
『ごめんね? 最初に言っても信じてもらえないと思って』
「そっちじゃなくて。君がお客を……紹介している、もう一人のYu-noの方」
『……全部、Keisukeのためだよ?』


 ―――俺のため。

 その言葉が肩に重くのしかかる。
 女衒をするのが……俺のため?

 俺の常識や倫理を超えたところにYu-noは居る。


 何故か寂しさを感じながら、俺は遠くから聞こえて来る賑やかな笑い声に目を向けた。

 公園の芝生では、幼い姉妹がはしゃぎながら追いかけっこをしている。


「ありがとう。俺のことを思ってくれるのはとても嬉しい」
『じゃあ―――』
「ただ、噂になってYu-noをそういう目で見られるのは嫌だ」


 長い沈黙。


『……うん、分かったよ。考えてみる』
「ありがとう。ゆっくり考えて」


 追いかけっこをしていた子供は、妹が姉に追いついた。
 きっと姉がわざと足を緩めたのだろう。

 笑いながら芝生の上に転がる姉妹に、母親が笑顔で手を差し伸べる―――


「ねえ、Yu-no」
『なに?』
「君はどこの誰―――なの?」


 再び訪れる長い沈黙。
 スマホの向こうから伝わる息遣いに耳を澄ます。


「……Yu-no?」
『私はYu-noダックだ。耳のでかいドブネズミが追いかけてきたのでこれにて失礼! グワッ!』


 勢い良くまくし立てると、Yu-noはとりつく島もなく通話を切った。


 はぐらかされたのは……予想の範囲内。
 画面を眺めながら大きく息を吐く。


 俺はスマホのボタンに指を伸ばす。


『もしもーし Yu-noだよー』


 アヒル声のYu-noの声。
 俺はさっきの会話を一通り聞き返すと、陽の眩しさに目を細めた。


 ……初めて掴んだYu-noの影だ。


 指先に触れた前髪だけでも離さない。