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俺をディスる幼馴染への制裁は、遅効性の甘美な毒薬

第16話 笑顔の先輩


「ここで止めて」

 かたん、と小さく揺れて車椅子が止まる。
 俺は手を伸ばして車輪をロックする。


 すり鉢状の野外劇場。
 客席が半円状の劇場をぐるりと取り囲み、その真ん中にステージを見下ろしている。


 吹き上げる風が夜縁《よすが》の髪を揺らし、華奢な手がそれを押さえた。


「前に来たの4歳の頃だけど、なんとなく覚えてるよ。今いる辺りまで立ち見のお客さんが溢れて、凄いなーって思ってたの」


 今日はイベントの予定がないらしく、俺達を除いて誰一人いない。
 時折、遠くに聞こえる歓声が却って寂しさをあおる。


「地元の局がテレビカメラを入れようとして、ママと喧嘩してたわ。契約がどうとかって。大人の世界は難しいよね」


 夜縁はぐるりとあたりを見回し、懐かしむ様に目を細めた。


「思ってたよりずいぶん小さいな。記憶の中では、野球場くらい大きいイメージだったんだけど」
「あんまり身体を乗り出すと危ないよ」


 車椅子のすぐ前は、急勾配の階段になっている。
 万が一、車輪が落ちようものなら、そのまま下まで滑り落ちかねない―――

 ハンドルを握る手に思わず力が入る。

 それに気付いたのか。夜縁が面白がるような表情で俺を振り返る。


「ね。お兄ちゃんが手を離したらどうなるんだろね」
「え?」
「元、人気子役。将来を悲観して思い出の地で自殺。割とアクセス数を稼げそうだね。あ、でも―――」


 大人びた苦笑いが夜縁の唇に浮かぶ。


「人気子役ってのはちょっと盛ったかな。テレビ出てたのなんて1年くらいだし」
「……夜縁ちゃん」
「冗談だよ?」


 こくりと首をかしげて。夜縁は可愛らしく笑顔を作る。


「冗談でもあまり言わない方がいいかな」
「そうだね。ごめんね、お兄ちゃん」


 夜縁はスマホを取り出すと、散々構図を迷ってから写真を撮った。


「夜縁、別にお仕事に未練なんか無いよ。ママやお姉ちゃんとは違う。あの頃は皆で一緒にいられたから、楽しかったってだけ」


 撮った写真をじっと見つめていた夜縁は、一瞬迷ってからそれを消す。 


「夜縁ちゃんも一緒に撮ろうか?」


 夜縁は無言で首を振る。


「ねえ、お兄ちゃんに秘密を一つ教えてあげる」
「……秘密?」
「夜縁、少し前に遺書を書いたの」


 内容とは裏腹の明るい口調。俺は思わず息を呑む。


「大した中身じゃないわ。みんなありがとう、勝手なことしてごめんなさいみたいなことを書いたかな」
「夜縁ちゃん、君は―――」


 自分でも分かるほど、声が震えているのが分かる。
 夜縁は肩を震わせながらくすくす笑う。


「安心して。夜縁だって死にたくなんてないわ。でもこんな身体だし、いつ何があるか分からないでしょ?」


 ―――言って、優しく笑う夜縁。


 ……俺はその笑顔に見覚えがある、
 日南がまだ俺に心からの笑顔を見せてくれてた頃。

 彼女はそんな顔で俺を見ていた―――


「読んだみんなが、あの子はそれだけ辛かったんだねって、支えてあげられなくて御免なさいって涙しながら罪悪感を振りかざして―――」


 夜縁は俺に姉の生き写しの笑顔を向ける。


「―――楽になる手助けをしてあげるの」


 その考え方はいけない―――


 反射的に出かけた言葉は、音にならずに喉の奥に詰まる。


 ……何故いけない? 

 死ぬことが? それを思うことが? 死の後を思うことが?


 ……答の出る話ではない。
 俺は拳を握り締めながら、平静を装って静かに言葉を紡ぐ。


「俺は……君に何かあったら自分を許さないと思う。楽になったりしない」
「……だね。お兄ちゃんは心の底から悲しんでくれるよね?」
「だから絶対に」


「あの子が死んで良かった、肩の荷が下りた―――」


 夜縁は言葉を切り、俺の瞳をじっと見つめる。


「―――なんて、お兄ちゃんは思ったりしないもんね?」


 ……もちろんだ。

 そう声に出したつもりが、喉がひりついて音にならない。


「……楽になるよ?」


 夜縁は後ろに手を伸ばすと、手慣れた仕草で車椅子のロックを外す。


「あとは綺麗な罪(・)悪(・)感(・)だ(・)け(・)抱えていけばいいんだもん」


 声も出せない俺に、夜縁がぽつりと呟く。


「机の真ん中の引き出し」


 俺の背中をそっと押すように、静かな声で。



「……え?」

「言ったでしょ。……夜縁の秘密」


 俺は目を瞑り、無理矢理息を呑み込む。


「……この話はやめよう」
「うん、お兄ちゃんがそう言うなら」
「夜縁ちゃんも自分を粗末にするような言い方は止めよう。君は何も悪くなんか―――」


「……その言い方は止めて欲しいな」


 夜縁の声に、初めて苛立ちが混じる。


「一番つらいのは、『君は悪くない』って言われることなの」


 車椅子の手すりを握る指が小さく震えだす。


「悪いとか悪くないとか……なんで生きてるだけで言われなきゃいけないの?」
「ごめん、夜縁ちゃん。俺は―――」
「……死んでまで『可哀そうな子』って言われたくないの。最期くらい、自分の意志でそうしたって思われたい」


 絞り出すようにそう言うと、夜縁はうつむいたまま黙り続けた。


 時間の感覚が無くなり始めた頃。
 夜縁は前触れもなく身体を起こすと、何気ない口調で言った。


「のど乾いたな」
「……え?」


 先程までのやり取りが勘違いかと思うほど、気の抜けた口調。


「夜縁、ここでもう少しこうしてるから。お兄ちゃんはジュース買ってきて」
「でも、君をここに残しておけないよ」
「大丈夫、ここでいい子にしてるよ?」


 黙り続ける俺に、夜縁はもう一度『大丈夫』と繰り返した。

 俺は俯いて首を振る。


「分かった。なにが飲みたい?」
「久しぶりにコーラ飲みたいな。太るからって、飲ませてもらえないの」


 俺は静かにハンドルを引くと車椅子の向きを変える。


「あらら、夜縁も一緒に行くの?」
「言ったでしょ、今日は夜縁ちゃんにずっと付き合うって」
「あれ、嬉しいな。今日のお兄ちゃん、優しいね」


 夜縁は明るくはしゃいで見せる。


「あのね、お昼はピザを食べたいな」
「いいね。夜縁ちゃん、ピザ好きなんだっけ」
「ずっと昔、楽屋でママとお姉ちゃんの三人で食べて、とても美味しかったから」


 車椅子になすがままに揺られながら、夜縁はご機嫌そうに上体でリズムを刻む。


「じゃあ、お昼ご飯はピザにしよう。好きなだけ食べるといいよ」
「ホント? じゃあ、一枚丸ごと頼んじゃうよ?」


 無理に笑顔を作る俺に、夜縁は屈託のない笑顔で返してくる。



 ――――こういったことに関しては、お兄ちゃんより夜縁の方が先輩だよ?



 ついさっきの夜縁の言葉を思いだす。


 ……確かに夜縁は俺のずっと先輩だ。
 どんな時にでも完璧な笑顔になれる―――先輩。


 夜縁の鼻歌を聞きながら、俺はどっちつかずの笑顔で車椅子を押し続けた。


 ――――――
 ―――


「びっくりした! あんなに近くで水がぶわーっと噴き出てそれでちょっとお洋服濡れちゃったけど、でもあんなに沢山お人形が踊ってるなんて見たことなくて―――」


 息もつかずに話し続けて、ようやく肺が空になったのか。
 夜縁はストローを咥えて大きく中身を吸い上げた。


「ぷはっ! それでねお兄ちゃん、服はすぐに乾いたからもう一度乗ってもいいんだけどまだ乗ってないのがあるから―――」
「夜縁ちゃん落ち着いて。まだ時間はたっぷりあるよ」


 俺は混じり気なしの笑顔で、本日3ピース目のピザに齧りつく。

 オープンテラスのフードコートで早めの昼食。

 夜縁の希望でピザにしたが、さすがに丸ごと頼むわけにはいかず、「全種類1ピースずつ」の折衷案が採用された。

 おかげでトレイの上には4種類のピザが並ぶ羽目になったのだ。


「もっと食べられると思ってたなー。一つでお腹一杯になっちゃった」
「俺も三つ目は結構きついかな。でもこれ、カレー味で美味しいよ」
「あ、夜縁も食べたい。一口ちょうだい?」


 俺が食べかけのピザを差し出すと、夜縁は躊躇もなく齧りついた。


「美味しい! 次はこれを最初に食べようっと」
「で、俺が他のを全部食べるのかい?」
「だよ。頼りにしてるね、お兄ちゃん」


 ひとしきり笑い合うと、夜縁は目元の涙を拭いながらガイドブックを広げる。


「これなんか最初、タコの足の先に椅子があるなんておかしな乗り物だと思ったけど、あんなに高く上がるなんて思ってなかったからホント怖かったね。しばらくしたらパレードもあるから早めに場所を取らないと―――」


 興奮してまくし立てていた夜縁が、ふと黙り込む。
 訝しく思っていると、周りの目を気にしながら俺に身体を寄せようとする。


「どうしたの?」
「……あのね。夜縁、お手洗い行きたいな」


 言って、恥ずかしそうに顔を伏せる。


「ごめん、気付かなかったね。すぐ光枝さんを呼ぶから」


 光枝さんに電話をして場所を伝える。


「すぐに来てくれるって」
「光枝さん、どこにいるって?」
「中央の休憩所。多分、そんなに時間はかからないよ」


 俺の言葉に夜縁は少し迷うように、小声でつぶやく。


「……ちょっと、我慢できないかな」
「そうなの? じゃあ、先に車椅子に乗っておこうか」


 俺は立ち上がると椅子に座る夜縁に手を伸ばす。
 夜縁は両腕を俺の首を抱きしめるように回してくる。

 背中に回した腕に夜縁の重さが伝わる。
 香料の優しい香りと、僅かな汗の匂いが鼻をくすぐった。


 車椅子に乗った夜縁は、ほっとしたように息をついた。


「やっぱり、この上が落ち着くな」
「そうなの?」
「やっぱり家が一番、みたいなもんだよ」


 言ってから、冗談だとばかりに笑って見せて―――再び黙り込む。


「大丈夫? 我慢できる?」
「無理、かもしれない。だからお兄ちゃんが手伝って?」


 一瞬、意味が分からずに訪れた沈黙を、俺の驚きの声が破る。


「えっ?! いや、だけど、光江さんがすぐ来るよ?」
「お兄ちゃんは今ここに居るよね?」
「いるけど、もう少しだけ我慢できない?」


 夜縁は唇を噛みながら頭を振る。


「……この先ね、男の人にお手洗いの介助をされることだってあるかもしれない。そんなんじゃないって分かってるけど、夜縁だって平気なわけじゃないの」
「夜縁ちゃん……」
「だからお兄ちゃんなら―――」


 夜縁のすがるような瞳に、俺が頷こうとした瞬間。
 パタパタと走り寄る音がする。


「お嬢様、お待たせしました」


 余程急いで走って来たのか。
 光枝さんは胸に手を当て、ぜいぜいと荒い息をつく。


「……あら。光枝さん、早かったのね」


 それだけ言って光枝さんを眺めていた夜縁は、とぼけた顔で俺を振り向いた。


「思い出した」


 夜縁は悪戯っぽく笑って見せる。



「光枝さん、割と足が速いんだった」